服部坂(はっとりざか) せつなさが漂う坂 [文京区]
●江戸時、坂上に服部権大夫の屋敷があったことから、服部坂と呼ばれるようになったそうです。今後、人名に由来する名前を持つ坂は、「人名系」と分類したい思います。
●なぜこんなところに歩道橋があるのかと思ったら、中学校の校舎・校庭と体育館をつなぐものでした。私が通っていた学校にも校舎から校庭へ行くための歩道橋があったので懐かしいです。
●しかし、ひとけがなく、ものさみしい雰囲気が漂う校庭と校舎・・・
●校舎の正面も、やはり静まり返っています。
●この第五中学は、第七中学と統合されて、音羽中学になったとのこと。2009年4月から8月までは、この元第五中学の校舎が使われていましたが、2009年9月からは大塚一丁目の新校舎に移転したそうです。
●元第五中学校の地には、旧福岡藩主黒田長知ゆかりの黒田小学校があり、永井荷風や黒沢明なども通学していましたが、戦災により廃校になったそうです。その後、区立第五中学として開校したのは1949年のこと。
●この坂道に学生の賑やかな声が響くことはもうないのでしょうか。
2010-02-12 23:30
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